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September 01, 2004

2046

生涯で是ほどまでに期待し、待ちわびている映画は他にない。

2046」(2046/王家衛)

10.23(土)ロ‐ドショー

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幻に終った「北京の夏」が「花様年華」(花樣年華/In the Mood for LOVE/2000)になったという話もあるが、実際は、どちらかと言えば「2046」が引き継いでいるのではないかと思う。
どちらにしろ、王家衛の作品は緩やかな循環が閉じたり開いたりすることで呼吸をしているという持論に、何ら変わりはない。

物を書くことに挫折したことには少しも悔いは感じないが、書き掛けの“王家衛論”が完成せぬまま「2046」を迎えようとしている事に多少の戸惑いがあるのも事実である。

しかし、「花様年華」から「2046」に息注がれるものを想像するに、矢張りそれは必然であったのではないかとも思う。

「ブエノスアイレス」(春光乍洩/Happy Together/1997)は1997年を迎える香港に対する愛憎の和解を描いているのだし、「花様年華」は香港という原風景を回顧している。
「2046」は言う間でもなく“約束された50年”の後の話である。 

「いますぐ抱きしめたい」(旺角卞門/As Tears GO By/1988)は原題の通り、繁華街から島々への包括的な香港の地理性の話であるし、「欲望の翼」(阿飛正傳/Days Of Being Wild/1990)は閉鎖的な都市と時代からの脱却への咆哮だ。
「楽園の瑕」(東邪西毒/Ashes of Time/1994)があらゆる属性を立ち切った寓話的な香港ノワールだとするならば、「恋する惑星」(重慶森林/Chungking Express/1994)は正に香港ヌーベルバーグと呼ぶべき現代性、リアリティの獲得を劇的に果たしている。

だとしたら、矢張り論ずるべきは「天使の涙」 〈堕落天使/Fallen Angels/1995)ということになる。この映画だけは端的に捉えてはならない、厄介な呪われた傑作だ。

兎も角、「ブエノスアイレス」以降、土地も時代も投げ捨て、縦横無尽に逃避し、追跡し、つまり運動した対象は、言うまでも無く捉え難き香港そのものであり、その上で未来という妄想という名の人間にとっての最大の武器であり、甘美な危険を持ち出した以上、王家衛の作家性が危機に晒されるのは自明の理であり、尚もその外道を突き進む必要性に我々は甚だ求心されるのであるし、恐らくはそれを達成したと言うことは、穏やかな循環の終着すら起こし得る、王家衛という映画にとっての革命的事件そのものなのである。


投稿者 井川広太郎 : September 1, 2004 11:58 AM  [ 映画REVIEW]

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