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July 24, 2004

バレエ・カンパニー

The Company(2003/Robert Altman)

圧倒的な撮影技術に脱帽!
全ての登場人物に行き届いた演出に感動!
あまりにも映画的な体験に感涙!

こいつはスゴイ!これこそ“絶対映画”だ。
他の如何なる映画の比較対象となることなど無い、
映画以外の何物でもない、純粋な映画!

作品公式HP http://thecompany.jp/


company.jpg

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冒頭の稽古場のシーン。全面鏡張りの部屋でダンスの練習に励み、あるいはそこから抜け出し、動き回る劇団員達。カメラは被写体を次々に入れ替えながら、その全貌を流暢に追う。その技術に参ってしまった。鏡は“映すもの”だから当然、映画においては重要なアイテムであるのだが、同時に、危険な道具でもある。カメラが映ってしまう恐れがあるからだ。四方八方を鏡で仕切られた部屋で、しかも登場人物が多い中で、ましてやカメラが休むことなく動きながら映像を成立させるには、従って綿密な計画とリハーサルが必要になってくる。

しかし、この登場人物たちは規則正しさとは無縁なように実に生き生きとしている。ほんのワンシーンしか登場しない者や、台詞が僅か一言しかないものまでも輝き、魅力的で、人間的だ。ほんの少しの台詞、あるいは仕草、表情で、かれらの個性が伝わり、存在感が広がる。こういうのを演出の力と言う。

映画は時間的にも視覚的にも限られた芸術であるから、世界も視野も限定されたものであることが前提である。そこで、起承転結やら一方的な意味づけを映画に導入することはわかり易くもあるし、容易でもあるだろう。しかし、この作品の登場人物達が見せるのは一元的な視座などではなく、飽くまで彼らの瞬間、長い彼らの人生のほんの断片であり、それが結果的に一つの作品を織り成しているということを自覚的に提示してくれる。まさに胡蝶の夢のような一時は、醒めることを知らないパラレルワールドに我々を誘う。映画が終わっても、彼らの人生は続くのだ。あたかも、映画とは無縁なところで役者の人生も観客の人生も続いて行くかのように。だからこそ、出会えた瞬間を慈しむ。ああ、最愛のリヴェットよ!

無限の物語を豊富に内包した個性的な登場人物は、その饒舌さとは相反して、短絡的な結論は決して出そうとしない。いや寧ろ、彼らが敢えて語らずとも、我々は自然と劇団員一人一人の、さらには彼らの家族の、恋人の、偶然すれ違った人々の物語を夢想し始める。カットごとに多くの人がそこに存在し、それゆえ自然と広がり始める無数の物語は飽くまで観客の自由な行為であり、その最中にも映画は次なる瞬間を既に捉えている。映画は映画であって、そこに意味を感じるのは観客の生業なのだ。ただ動きを、動く人を映す映像は全くぶっきらぼうであり、その冷静さが豊かさを産む土壌となっている。50人、あるいは50億の人それぞれに人生があるように、物語の可能性は常に無限大なのだ。

バレエであるということは、この映画においてはどうでもいいことなのだ。ただ、身体を動かし生きる人々が、共に何かを織り成すという現実にこそ必然性と必要性があり、無論、その中でなければ人間は物語ることすら出来ない。物語は目的ではない。物語は生きることに付随してくる結果に過ぎない。リュミエールが生み出した映画という生きること、存在することのダイナミズムを捉える行為は、ここにまた一つ、その真実の姿を取り戻した。


投稿者 井川広太郎 : July 24, 2004 11:53 PM  [ 映画REVIEW]

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投稿者 by: 井川広太郎 at August 22, 2004 11:31 PM